不思議な話その1
暑い日々が続いておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はTVを見ないのですが、オリンピックのニュースをネットで見て、オリンピック開催出来て良かったなと思っています。選手のお気持ちを考えるとね、やっぱり、開催されて良かったです。
さて、スピリチュアルには懐疑的な私ですが、私の立場は説明しにくいのでアレですが、オリンピック開催されるのかの未来予想をしてみた事があります。
6月頃かな。
開催された方が 良い という結果でした。
一種の占いをしたのですけどね。
だから、結果として良かったなと思います。
感動した人も沢山いると思うしね。
やっぱり人間は、喜怒哀楽を感じてナンボだと思うので。
そのために、スポーツ選手の頑張りとか、知らなかった部分を知って感動するとかは、選手にとっても、画面越しで感動した人にとっても、とても良いことです。
お互いに、良いことですよね。
感動を与える、感動を受け取る、どちらにとっても良きことですし、その受けた感動は、巡り巡ってちゃんと然るべきところへ、エネルギーとして行くわけです。
いつかは、感動を与えた側に巡っていくから、良いことしか無いわけです。
そういう視点でいると、この世界は、本当は良いことしか無いのですよね^ ^
悲しい事もありますが、ちゃんと越えていけるものです。
少なくとも私は、そのように私を取り巻く世界を設定していますので。
じつは、もう、自由に生きています。というか、自由で居て良いのだと思ってます。
マスコミの報道からも自由になってます^ ^
そして、徐々に、気付く人が増えて行くことを設定してますので、数字に惑わされることなく、自分の感覚を大切にして行きましょう。
怒ることは、もう、必要ありません。
何に怒るかは、じつは明白でして、それ以外の事は、
『あら、そうなのね〜』で、流して良いのです。
多分、殆どの地球人が怒る必要がないです。
どんな情報があったとしても、怒るに足りないです。
学校ですし、学びの場所ですし、ひとりひとりが、軸が違うから。段階、階級が違うから、それで良いのです。
知りたい人は、夢であいましょう、ですかね〜^ ^
では、本題デス❣️
【不思議なお話】
私が、私という意識に気づいたのは、幼稚園に入る前でした。
そして、2学年上の姉が幼稚園に通っていた頃なので、私は3才か4才だったと思います。
時間は、昼間だったと思います。
季節はうろ覚えですが、冬ではなく、夏か秋だったかも。
その時私は、家の中のほぼ真ん中に立っていて、ハッとしました。
気が付いたら、自分がそこに居た。という感覚。
その時が、『私』という人生の始まりでした。
昨日今日明日という時間の流れの中で、『私』というものが存在しているというのを知った瞬間というのかな。
自我というものを自覚した瞬間というのかな。
とにかく、私はここに存在している、ということと、この意識が明日へと続いていくというのを自覚した感じです。
自分の存在を認識したのかな?
まあ、私が始まった日でした。
それ以前の記憶は、ぶつ切りで、あるのです。写真とか、親が撮ったビデオとかの映像で、思い出せる。
だけど、自我が連続して続いて行く、というのは、あのハッとした時からでしたね。
だから、ハッとする以前の自分はどういう人物像?たったのか、わかりません。
さてさて、その瞬間のことは、私が小学生になっても、時々不思議だなと思って、でも誰にも言わずにいたことですが、他のお友達とかは、私のようにハッとした瞬間があったのだろうか???
その日は、母親は家に居て、午後になって姉が幼稚園から帰ってきたという記憶があります。そして、母親と姉と私でじゃれあっていたみたい。
もちろん、幼児の頃の記憶なので、この後の事全て覚えておらず、かなり色々と忘れてます。
自意識がしっかりと出来上がったという事ですね。
もっと小さい頃は、その家ではなくて、別の一軒家に住んでました。その頃の事は、途切れ途切れの断片の記憶です^ ^
これが不思議話になるかは微妙ですが。
また次回お会いしましょう♪
暑いのでピノ食べました。