L-HOME’s diary

日々の色々なこと、衣食住のこと、興味のあることをつらつらと書きます。自分のメモ用紙原稿用紙の代わりにもなって、自分の楽しいことしか書かない日記にもなって、誰かの力になれるようなブログを目指してます。言葉の魔法を使いなさい。心の魔法を使いなさい。そのように上から命じられました。

不思議な話その2 小学生の頃

気付くと9月になってました。お元気でお過ごしでしょうか?

このごろは雨が続いて、もう夏は過ぎ去ったように感じます。

衣替えも考えなきゃ〜。

暦では秋ですしね、お月見ももうすぐですね。

お月見とか、なかなか出来ませんけど、お酒をちょいと飲みたいです🍾

日本酒🍶とか、ワイン🍷が、コロちゃん対策に良いとか聞きますよ。

アルコールは、ほどほどに❗️ですけどね。

何事も、適量があるし、程度の問題がありますので、自己責任でやっていくしか無いのですよね。

自分と他人は違いがある、ということと、

その違いをどのように捉えて解釈して知識と智慧を得て自分に反映させて自分を確立していくか、ということと、

その自分をこの世界でどう表現して、

世界に何を置いていくか、

ということを、

世界と、後ろの存在とが、見ているのだろうな、

と思います。

生き様ってヤツでしょうね。

自分が納得する人生を生きましょう。

その時、他人様も納得するかは別ですが。

世界と後ろの存在には納得して貰えたら、それで合格と思います。

世界とは、自分が感じて認識している全ての全てです。さらに、自分の意識には上らないけれども自分が本心で感じている全ての全てです。

自分が使ってる携帯電話も、そこに入ってますよ。

自分の携帯電話も自分の相棒で、自分の分身です。

一緒に住んでる家族は、どんなに仲良くしていても、やはり自分の世界の中には入りません。意識が別だから。その方にはその方だけのオリジナルの世界があるのです。

それを侵してはいけないのです。

そして、近しい他人様と、自分の世界の全ての全てで関わって行くのが、自分の役割です。

お互いにそうなんです。

道徳も、宗教も、文化も、思想も、学問も、本来はそれらを学ぶ材料だったりするのかもな、と、コロちゃんパニックを眺めながら思いました。

テストされてますね〜。

頑張ってますね〜。

盛り上がってますね〜。

そんな感じの今日このごろです。

私は相変わらずマスクを外して深呼吸して生きています。

わたしの世界ではそれでいいのです。

まあ、かなりの覚悟が要ることでしょうから、強制はしませんが、覚悟があるから私の世界はちゃんと回っているのだと思います。

時々バイ菌扱いされますが、それも面白い私の世界です。

上というか、宇宙というか、見えない世界の意図を理解すれば、こわいものは無いのです。

もちろん、ただの人、凡人ですから、病気にもなるし死にますが、病気にもならずに死ににくい人生も作れます。

生き様、でしょうね、全ては。あ、戻ったね話が^_^

会社では、体調不良の人が相次いでいますが、それは、今迄にどの様な生き様だったか、の結果だと思います。

何を食べて、生活習慣はどうで、思考回路はどうなのか、が、全ての結果になるでしょ。

その食べ物は、どのようなルートで調達したのか?というのも関わってきます。

いくら健康志向でも、環境汚染に協力してるような企業から買ってたら、意味が無い、とか。

そういう、食の世界の、奥の奥まで、気を遣って買い物したのか?というところまで突き詰めていくと、ふるいにかけられてしまいます。

最後の1人までふるいにかけられる、としたら。

世界にとって、マイナスな人からドンドンふるいにかけられていくとしたら。

外食よりは、自炊の方が健康的。

自炊の中では、農薬使った野菜より、無農薬栽培が健康的。

無農薬栽培の中では、外国からの輸入より、国産の物が健康的。

国産の無農薬栽培の物の中では、他県産より、地場産の物が健康的だし環境にも良くて。

地場産の無農薬栽培の物の中では、その畑の近隣一帯が遺伝子組み換えを拒否している、ちゃんとした土作りをしていて、肥料も自家製堆肥で、作っている農家さんが、お金儲けよりは畑仕事が楽しくてやってる、みたいな愛に溢れた人で…と、いうふうに、

物事は、細かく見ていけば、どこまでも細かく見ていけるのです。

そして、食にも、様々な段階があるのです。

表向きの、安心安全、というスローガンではなく、そこに直接関わる人々の、思考、思想、生き様まで、細かく関わってくるのです。

それが、数珠繋ぎのように、私の、あなたの生活の、大切な人生と関わっていて、

いざという時の、ふるいにかけられる、その節目の判断基準に、

実は、なってしまっている、ということを、

日本のどれだけの人が気付いているでしょうか。

病気になる人、ならない人。

全く同じ条件なら、

ふるいにかけるときの判断基準は、徐々に細かくなっていきます。

段階ごとにふるいにかけられていきます。

気付かないうちに、ふるいにかけられているんです。

どこまで、おいかけられるかな?

目の前の食事の中に、どのくらいの段階の、どの様なドラマが込められているか、

感受出来ますか⁉️

受け取れますか⁉️

テストとは、そういう事です。

漠然と生きてる人には、到底辿り着けない境地です。

食以外の、衣食にも、同じ事が言えます。

そして、既に作られた家とかが、どれくらいの環境負荷になってるかなんて、わかりませんよね。

だからこそ、ふだんの思考回路が重要になってきます。

ご縁です。

そういう家に住むかどうか、という運命は、縁です。

自分の生き様が全てを決める。

どんな人とご縁があるか、それも、今迄にどの様な思考で生きてきたか、実践してきたか、感じてきたか、学んできたか、それだけだと。

だから、外側のお勉強より、内側のお勉強が必要で、生きる事の勉強は、どれだけ有利に生きるかではないということですね。

世の中、便利に有利に快適に生きましょうというような、ハウツーもので溢れてますが、それらは、トリックです。

その情報を得て、自分はどうするか、を、世界から問われているわけです。テストです。

それを利用するもしないも自由ですが、それを利用して自分が快適に有利に得して生活出来て、それで⁉️ということです。

で⁉️あなたは、その後、どうするの⁉️と、見られているわけです。

自分が得して幸せに生きて、それで終わりですか⁉️と。

その先、どうするの⁉️

それに、自分の言葉で答えられないのなら、失格ですよ、ということです。←厳しいと思うが、この世界は元々厳しい。

対処療法は色々あるけど、それは何千年前と、なんら変わらんよね〜。人類進歩しとらんね〜と、思われてますね^ ^

そんなわけで、情報が溢れているので、自分はどうか、と日々内観して、お勉強している私です。

それにしても、コロちゃん怖がってたら、あんた同じこと繰り返すよってのが、メッセージですね。

私の中では、もうコロちゃん終わってるんですよ。

縁と、生き様だからね。というか、報道も偏ってるでしょ?意図された情勢だと、普通に考えたらわかると思うのだけどね。自分の健康は自己責任で。そして全てテストだから、色んな視点から見てみると良いよ。このブログ読んでる人は少ないけど、それも縁かも知れませんね。

というか、辿り着けないブログですね^ ^

人間相手のブログじゃないので^ ^

さてさて、魔法使いはまだまだ頑張ります❗️

今日は、随分と、ヒントを書いてしまったけど、私の意図は、あちらさんに通じたかな⁉️

では、本題です

[不思議な話 その2: 子供の頃 ]

私が小学2〜3年位かな?ちょっと覚えてないけど、割と怪談話とか好きで、怖いから体験したくはないけど、聞くのは好きな子だったので、仲良しの友達ともそういう話をしたりしていました。

ある時、私が住んでる団地の敷地内の植込みの所で砂遊びみたいな事をして遊んでました。

そこには小石とか子供の手の平サイズの石とかがゴロゴロしてて。

なぜか、手の平サイズ位の石を組み合わせて、神社の狛犬みたいなのを作ったんですよ。

石の形は犬には似ていない。けど、コレ狛犬ね〜って感じで、2、3個の石を積んで、左右に設置した。

特にこだわりもなく、軽い気持ちで。

その植込みの場所は、ちょうど、私の住んでる家の寝室の真下にあたる場所。団地の7階に住んでたから、寝室からは見えないけど。

その日の夜、寝ていたら、「ワオーン」と、犬の遠吠えが聞こえてきた。

ちょうど、狛犬を作った辺りから聞こえたような気がした。

翌日、狛犬の場所に行ってみると、狛犬の石に、何かちょっとだけ血のようなものが付いてた。

確か、作った時には石にそんなものは付いて無かったハズ。

だから、作った友達と、不思議だねー、と話してました。

と、いうお話です。

その後狛犬はどうしたのかな?と思い出そうとしたのだけど、記憶があまり無い^_^

友達は、クラスの色んな子にこの事を話して回ってたかな。

多分、狛犬はその後、普通に取り壊したと思います。

子供の頃なんて、そんなもんです。

なんちゃって狛犬だし。←信心深い人にとってはとんでもない話かもだが^ ^

謎の血のようなものですが、超現実的な思考では、

犬の遠吠え=犬同士の喧嘩

血=喧嘩で飛び散った血

犬はその後何処かへ行ってしまった

となるのかな。

犬同士の喧嘩は、私が子供だったので、寝ぼけてて遠吠えにしか聞こえなかった

とかなんとか、そんな風に辻褄合わせが出来るかも⁈

真実は、わかりません。

まぁ、不思議だな〜と思ってます。

ただ、不思議だーと終わらせず、こういう現実があったのかも?と、ひと考えするようにしています。

多角的に見るという事で。

当時は、野良犬も結構いて、5〜6匹の野良犬の群がうろついているような時代でした。

戸建て住宅では、結構番犬が飼われていて、あの家の番犬はすぐ吠えるし恐い、という噂を聞きつけてその家に見に行ったり(笑)

その番犬と仲良くなったり(笑)

その番犬が産んだ仔犬を近くの原っぱまで散歩に連れ出して遊んであげたり(飼い主は知らない)

私が子供の頃は、そういう時代でした(小学生最強やね)

最近は、恐い番犬とか、全く見ないですね。

場所にもよるのかもね^ ^

訪問販売とかが、無くなったからか?

時代も変わっていくので、ま、それはそれで。当時はそれで良い時代でしたね。そういう時代での学びも、当時はあったのだということでしょう。

今は今で学びがあるわけで。

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空を眺めて、空想したり、空の向こうに何があるのかなと考えたり、ボーっとしたり、見えないくらいに小さな存在を想ったり。

毎日、違うので、感受することたくさんあって、恐い情報には目もくれず。

数字には意味がない。

とくに、怖がらせようと意図する数字には、意味がないよ。

2011年、3月に、報道がどういうものか、お勉強したから。

そこから学んだから、

鵜呑みにしない。

では、2020年からの報道も、そういうことで。

遠くの、確かめようもない現実?の数字より、今の私の現実を見て、しっかりと考えて、覚悟して生きましょう❗️

読んで頂きありがとうございます😊