L-HOME’s diary

日々の色々なこと、衣食住のこと、興味のあることをつらつらと書きます。自分のメモ用紙原稿用紙の代わりにもなって、自分の楽しいことしか書かない日記にもなって、誰かの力になれるようなブログを目指してます。言葉の魔法を使いなさい。心の魔法を使いなさい。そのように上から命じられました。

不思議な話その3 小学生の頃の謎のラジオ?

さてさて、久しぶりの晴天で、元気にお散歩して来ました。

もちろん、ニッコリ笑顔でお買い物もしましたよ。

私がノーマスクでも、誰も突っ込みません。

そういうモンですね、意識が現実を作っているので。

貴重な太陽光を浴びて、ビタミンDも増えたかな?

日々のおだやかな日常に感謝ですね。

こうやって、朝、目が覚めることが、既に生かされているという恩恵ですね。

生きていることを有り難いと思っていたら、必ず良くなって行きます。

そして、感性が磨かれて行って、本来の自分で生きて行けるようになると思います。

複雑な人間なんて、居ないです。

社会の仕組みが複雑に見せてるし、見させているから、それに引っかかってしまうけども。

本来なら、シンプルなんです。

あまり考えずに、感覚を研ぎ澄ませて、秒で決断しましょう。

おそらく大多数の人は、生きることをゆるされています。むしろ、歓迎されてますので、只生きているだけで、成功者だったりします。

存在するだけで、役に立つ。そういうことですから。

↑上から見た場合、そのようです。

別の役割のある人は、もっと生まれながらに注目されてますよ。

だから、生きているだけで、ほぼほぼ人生は成功なので、あとは真っ当に臨終を迎える事が最大の使命ですね^ ^

そこを、テストでお勉強しているんですね。

予期せぬ臨終を迎える事の無い様に、ちゃんとお勉強して行く事が大事ですね。

日常にヒントが沢山散りばめられていますし。

TVを見過ぎないことです。

それよりも、自分の意識を見ていきましょう。

環境は、自分が映し出したものだから。

なるべく幸せな気持ちでいることです。

人体のほとんどに微小な生物が生息していて、共生していますから、大事なのは、TVの向こう側にいる人よりかは、今目の前にある自分の手足の表面に共生している微小な生命体さんですよね。

その存在と、共に生きているのだから、そちらと仲良くするのが、先です。

その共生している微小な存在さん達が、病気から身を守るバリアーになってくれたりしてるのです。

もっと、ぶっ飛んだ事を言いますと、コレは信じるかどうかはその方に任せますが、

例えば話題のコロちゃんが私の身体の中まで入り込んで来るかどうかは、

私の身体の表面に共生している微小な生命体さんとコロちゃんの間でのやりとり次第です。

微小な生命体さんが、その気になれば、いくらでも門戸を開いてあらゆる病原体を受け入れてしまいます。

それは、微小な生命体さんの環境に対する意識次第なんです。

微小な生命体さんの環境=共生してる人体   です。

『環境をより良く保って、皆んなが気持ちよく暮らせるようにしよう』

と、意識の高い微小な生命体さんは、生きている土台の人体を大切にします。人体がなければ、自分達も生きていけないからです。

だから、異常に増え過ぎて人体にトラブルを起こすような事もしませんし、外敵の病原体がやって来たら、全力で追い返したり、その病原体が住みにくい環境を作って、人体が健康でいられるように努力するのです。

人間が、地球さんにしてる事と、似ています。

相似形ですね。

だから、普段の生活で、ゴミを平気でポイ捨てしてたり、タバコの吸い殻を道端に平気で捨てたり、キャンプに行ってゴミを散らかして帰るような人は、共生している微小な生命体さん達から、信頼して貰えていません。

『いま、住んでるこの環境(人体)って、ちょっとアレだな、長生きさせると、かえってあらゆる方向に対して良くないみたいだな、今度外敵がやってきたら、外敵に明け渡すかぁ』

なんて、思われているかも知れません。

だーれも見ていない、なんて、そんなことあるわけないでしょ⁈

そもそも、あなた本人(人体)が、見てますから。

聞いてますから。

心の声も、意識の行方も、全てわかってますから。

そして、コロちゃんも、あなた本人の顕在意識よりも、共生している微小な生命体の総合意識の方と、お話して、決めてます。

決めたら、コロちゃんは、仕事が早いです。

科学は、後付けです。

科学が、そもそも、追いついていないのです。

それを、無意識にわかってる人は、科学的なアプローチから手を引いて、生活そのものを改善していると思います。

日常を大切にしましょう。

結局は、当たり前の事を、当たり前にやるだけなんですね。

でも、当たり前過ぎて、そこが盲点になってて、難しいです。

常識?を、疑いましょう。

非常識を推奨している訳ではありません。

その辺の見極めは、数日、数ヶ月では、無理です。

ことあるごとに、考えて、どういうことだろう?と、私情を入れずに見る、客観視する、相手の立場で考える、状況を分析する、など、色々な角度から、考えたり、他人の意見を聞いたり、読んだり、繰り返していく事でしか、身につかないものです。

向上心とか、成長意欲とか、そういう情熱も必要です。

自分のエゴに凝り固まっていたら、向上心を刺激される事も無く、見極める目を育てるチャンスも来ません。

それなりの人生しか歩めないので、生きてるだけで成功なので、そういう人は、それで良いんじゃないでしょうか。

つまり、エゴに凝り固まってる人は、その人格が成長する事は無いので、周りからとやかく忠告したり、気付きを促しても、無駄なのです。

だから、職場や家庭内で、そういうエゴ人間が居たら、それは仕方ないと諦めましょう^ ^

そういう人種は、一定数存在します。そして、彼等も、成長出来なかった不運な人なのです。

まあ、全体的には、たとえエゴ人間であっても生きているうちは成功ですが、本人が幸せを感じているかは別ですよ^ ^

もちろん、それで、周りに大きく害を与えたりしてなければ良いですが、万が一にも、日常生活でやりたい放題で環境を荒らすとかやってれば、衣食住全てが荒れて行き、今回のコロちゃんのような存在の標的になる事もあるでしょう^ ^

因果関係は、必ずある。

逆に言うと、これから、まともな人が増えるんだろうなと思っています。

軌道修正せざるを得なくなるでしょ。

意識が現実を作っているので、小さな世界も見えない世界も、ないがしろには出来ませんね。

各人が、それぞれ、気付いていくのかなあ、と、思ってます。

身近にエゴ人間が居る人は、成長出来るチャンスがすぐソコにあると思って喜んでいきましょう♪

私の職場にもわんさか居ますよ〜^ ^

教材の宝庫です!

では、本題です。

[不思議な話 その3: 小学生の頃の謎のラジオ?]

私は、幼稚園児の頃から両親が共働きだったので、鍵っ子でした。

鍵っ子って、今は言うのかな?

今は、子供を狙う犯罪も多いから、幼稚園にはパートを終えたママさんがお迎えに行く時代ですよね。

私が幼稚園に通っていた時代は、家の玄関の鍵は開けっ放しで、平気で家で過ごしてましたね。

専業主婦が殆どで、母親が働いてるのが逆に珍しい位だった。

しかも、私の母は、夕方5時まで働いていたので、必然的に幼稚園児の私が1番に帰宅するので、家の鍵を常に持っていて、鍵を開けてました。

そして洗濯物を取り込んで畳んで、タンスに収納するまでが、私の仕事でした。

2学年上の姉は、米を研いで炊飯器でご飯を炊くとか、普通にやってました。

味噌汁とか、カレーとか肉じゃがとかは、小学1〜2年で普通に作ってました。

鍵っ子だったから。かな?

ま、そんな家庭でしたので、小学1〜2年頃の私は、1番最初に学校から帰宅して、姉が帰るまで1人で家に居る事が多かったです。友達と遊びに出る事も多かったですが^ ^

時期はハッキリしませんが、ある時、まだ明るい昼過ぎくらいに1人で家にいて、ボンヤリ座ってました。タンスにもたれかかって、何をするでもなく。

すると、何処からか、声が聞こえてきました。

人の話し声です。

男性が喋ってるようです。

さらに、バックミュージックも聞こえてきました。

ラジオ番組っぽい雰囲気だったので、近所でラジオを聴いてるのかな?と思ったのですが、急にその音が止まって聞こえなくなりました。

???と、私は、今のは気のせいかな?と思いました。

すると、また、聞こえてきました。

今度は、隣近所というよりは、もっと近くから聞こえる気がしました。

そして、家の中で聞こえてると確信しました。

何処か?と辺りを見回してみました。

ラジオの放送のような音は、何を喋ってるかまではハッキリと聞き取れません。

明らかにラジオ番組のようなのですが。

そして、時々、その音がブチっと切れて聞こえなくなり。

その音は、私が座ってる部屋と、隣の父親の部屋との間の壁にぶら下がっている、延長コードから聞こえて来ると、わかりました。

まさか、延長コードのコンセントの差し込み口から???????

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部屋の壁にぶら下がっている延長コードには、何もコンセントを挿していないのです。いつでもコンセントを挿してTVやラジオを楽しめるようにしていますが、その時は、周りにラジオもTVも置いていませんでした。

私が恐る恐る音のするコンセントの差し込み口に近づくと、音はピタッと止まりました。

あれ?と思ってそこから離れると、また音がするので、また近づいてみると、ピタッと止まります。

2〜3回そんなバカな事を繰り返し…。

そのあとは、全く音が聞こえなくなりました。

全く意味がわかりませんでした。

ラジオっぽいのだけは確かでしたが^ ^

携帯電話が普及する前、よく電話中に混線して、全く別の会話が聞こえるという現象が有りましたけど、コンセント口からラジオが聞こえてくるなんて、そんな事ある⁈

あんまり不可解なので、この事は、家族の誰にも話してません。

友達にもね。

それにしても、ラジオ番組っぽいあの音は、とてもとてもバラエティー番組っぽい雰囲気だったので、もうちょっとハッキリ聞き取りたかったなぁ〜。

そこだけは悔やまれるな〜。

意識が現実を作っているとはいえ、小学生の私はどの様な現実を作りたかったのだろうか????

では、読んで頂きありがとうございます😊