不思議な話その4 小学生の頃 田舎での事
さてさて、夕方は随分と涼しくなってきました。
夕方から通勤の私は、とっても楽です。
秋は良い季節ですが、あっという間に過ぎてしまいますね。
貴重な秋を満喫したいです。
天気は雨と曇りが多めですね。
少しの太陽光でも、なるべく浴びるように気をつけています。
ずっと家にこもって、太陽光を浴びないと、ビタミンDが不足してしまう恐れがあります。
サプリメントで補給する事も必要かも知れません。
自然派の私は、栄養は食品から摂りたいので、サプリメントは購入していません。
ビタミンDは、積極的に太陽光を浴びて補給したいのです。
なので、紫外線対策の日焼け止めを辞めました。
夕方の太陽光なら、それでよいのかな?と思ってます。
生協組合員として、食品についてはかなり学びました。
刻々と情勢は変化して行きますが、食品を購入する際には、パッケージの裏の原材料欄を良く見ておくのも、健康管理の為に大切ですね。
食品添加物も注意が必要です。
1番の見分け方は、台所に普通にあるものかどうか?です。
聞いた事の無いカタカナ言葉のものは、大抵が食品添加物で、安全性については、一応基準をクリアしているものの、何十年と摂取し続けたらどうなるのか?が、ハッキリしていないものも多いです。
日本では使用可能であっても、外国では既に使用禁止になっていたりするものも、有ります。
昔は使っていなかったのに、いつからか、気が付いたら添加物が入るようになってしまってる商品も有ります。 よく分からないカタカナ言葉が、何種類も使われている商品は、なるべく避けて、そういう添加物が少ないものを選びたいですね。
グレーゾーンなのでね。
あと、100年くらいしたら、その添加物が安全かどうかハッキリするんじゃないでしょうか?
それくらい、添加物は人工的に作られたものが殆どで、大量生産、大量消費の為に存在しているようなものなのです。
長期保存が効くように、つまり腐敗を遅らせるためのものです。
経済優先、ということです。
その意味するところは、わかりますか?
食は、命を繋ぐものです。
命を最優先するべきものが、食の世界です。
経済を優先するということは、目的に対しての手段が間違っているという事です。
全ての土台としての、根本的な考え方が、間違っているということです。
経済を優先するのが悪いということでは無くて、根底の思想がどうなのか?ということが問題なのです。
命が大切、というのが、まず1番初めにあって、そのうえで経済を良くしていける様に考える、というのが、本来のあるべき姿なのです。
これは、国家としても、そのようであるべきなのです。
そして、庶民が、その事を注意深く見つめて行くことが大切です。
選挙の1票より、買い物の姿勢を変える、お金の使い道を変える、その事が世の中を動かすことに繋がります。
需要の無くなった経済優先のデタラメな食品は、自然淘汰されて行きます。
庶民は、賢く、食品を買わなければなりません。
社会を動かしているのは、本当は庶民なのです。
だから、経済優先の会社から食品を買うのでは無くて、命優先の会社から食品を買うべきですね。
食は健康に繋がるものですから。
これからの時代は、本物だけが残る時代ですよ。
庶民1人1人も、本物になっていく必要がありますね。
では、本題です。
[不思議な話その4 : 小学生の頃 田舎での事]
小学2年の冬休みだったかな? 田舎のおばあちゃんの家で過ごしました。
凄い山奥で、その集落にはお店が無くて、買い物には車で山の麓まで降りなければならないような場所です。
当時はいかにも日本家屋というような作りで、台所が土間でした。
靴かサンダルを履きながら、おばあちゃんや母親がせっせと料理を作り、出来上がった料理は、掘りごたつのある居間に運ぶのですが、この段差が凄かったのを覚えてます。
子供だった私にとっては、余計にこの段差の登り降りが面倒で、ずっと居間でブラブラして食事の時間が来るのを待ってました。
その日は、お鍋だったようで、掘りごたつのすぐ脇に、卓上コンロの用意があった様な記憶があります。
母親の姉家族も住んでいたのか、もしくは私達家族と同じく帰省しているのかはっきりわかりませんが、私と姉にとっての従兄弟にあたるお兄さん達も居ましたので、総勢10人以上で食卓を囲んだように思います。
この、大勢での食事の前に、私はとても奇妙なものを見てしまいました。
その時は、確か姉が側に居なくて。 姉は台所の母親達を手伝ってたのかも知れないし、庭の方で遊んでたのかも知れないし、ハッキリわかりませんが、とにかく私は1人で居間に居て、たまたま、その掘りごたつの側を通ろうとしたのです。
その、私の行く手を阻むモノが、ドカンとそこに居ました。
そこに居たモノとは、大きいにも程がある!と、今なら叫べるけど、その時の私は萎縮するしかありませんでしたよ。
それは、巨大な蜘蛛🕷でした💦
見た目が、タランチュラみたいな感じでした。
大きさは、バスケットボールくらいあったように感じました。
小学2年くらいですから、大人よりは何でも大きく感じると思いますが、いくらなんでも、あり得ない大きさの蜘蛛でした。
多分、蜘蛛です。 とにかく、びっくりしたのと、怖かったのとで、掘りごたつの側を通るのをやめて、別の部屋へと避難しました。
その後、普通にその日の夕食は皆んなで平和に食べて終わったのですが、私はあの時の食事がおいしかったかどうか、全く覚えてません。
一度別の部屋へ逃げた後、暫くしてそっとあの蜘蛛がまだ居るかどうかを見に行ったような気がします。 テンパってて、うろ覚えですが、もう、蜘蛛の姿が無かったように思います。
だから、誰にも言えずに、ずっと記憶の片隅に残していました。
今思えば、アレは、鍋用のカニだった🦀のかな?そう思いたい!!!
けど……………真っ黒なデッカいカニって?
それも、タランチュラのようなカニって、存在するの? 蜘蛛って、あんな大きく育つの??
今となっては、謎なのです。
それと、もうひとつ。
その、通りたかった掘りごたつの側。その先には、廊下があったのです。廊下が真っ直ぐ続いていて、ほんの2mくらいだと思いますが、その廊下へ行きたかったのです。
それを、あの蜘蛛?に、阻まれて、廊下へ行くのを断念しました。
あの時以来、おばあちゃんの家では、私はその場所に近づかないようにしていました。 あの蜘蛛が居た場所ですからね、怖くて行けなかったのです。
後日談として、あれから何十年と経ち、あのおばあちゃんの家へ行く機会がありました。 (おばあちゃんは既に他界していました。母親が亡くなって納骨の件で行ったのですが。)
それでずっと気になっていた廊下を見てみたのですよ。
なんと、廊下は、無かったのです。
この先は廊下だ、と思っていた場所は、普通に壁でした。あっれ〜っ⁈⁈どういうこと⁈ 後から工事して壁にした、という風には見えなかったのですが。
土間の台所は、土間では無くなり、よくあるシステムキッチンを入れていました。 居間との段差は相変わらずです。
従兄弟のお兄さんが使っていた2階の小部屋は、完全に封鎖してしまっていました。
その時、このおばあちゃんの家に住んでいるハズの従兄弟のお兄さん(と言ってももういい歳のおじさんですね〜)は、留守だったので詳細は確認出来ずです。
田舎との交流が殆ど無い家庭だったので、今更…な話ではありますね。
カニだったのだろうか?
やっぱり蜘蛛かな?
蜘蛛だとしたら、異常にデカくて怖すぎる話ですね。
まあ、そんな不思議なお話でした。
蜘蛛は殆どが益虫だから共存したいですね。
でも、やっぱり限度がありますね。 毒がある危険な子もいますからね。
あの家を守ってくれてたのだと思うことにしたいです。
読んで頂きありがとうございます😊