L-HOME’s diary

日々の色々なこと、衣食住のこと、興味のあることをつらつらと書きます。自分のメモ用紙原稿用紙の代わりにもなって、自分の楽しいことしか書かない日記にもなって、誰かの力になれるようなブログを目指してます。言葉の魔法を使いなさい。心の魔法を使いなさい。そのように上から命じられました。

お題☆ 大人になったなと感じる、自立心、独りで立つの心意気☆

今週のお題「大人になったなと感じるとき」で、書いてみましょう。

 

私の職場は、色々な人がいます。人数も多いし、年代も20代〜60代まで、主婦からダブルワークの方やら、子育て中の堅気のママさんから、年中パチンコ競馬のギャンブラー?やら、アル中だったり、居酒屋とか某牛丼チェーン店出禁の人まで、個性豊かな人々が。

 

自己中心、人の悪口か自分の自慢話ばかり、人の話を聞いたフリして全く聞いてない、二面性が有りすぎる、ルールを決めた本人が一番ルールを守ってない、自分の都合で怒ったり機嫌良かったり、盗難事件を有耶無耶にしたり、とか色々と色々と…( ̄▽ ̄) 個性豊かな人々らしく、色々な出来事がありまして、この職場は色んな人がいるんだなぁと思う毎日です。

 

でも、大富豪、という肩書きの方はさすがにいませんね。いたら可笑しいですけどね。

 

そんな環境ですから、働きながら、精神が鍛えられて、『私、止む無く大人に成らざるを得なかったな…』と思った瞬間が沢山ありました。忘れたけども。

 

あれ、大人になったなと感じるときというお題だけど、エピソードが多すぎてまとまりませんね。

 

 

要は、環境が人を鍛えるのでしょうね。

 

環境が厳しければ厳しいほど、より早く大人な精神の持ち主になれるのかな?でも本人次第ですよねぇ?

 

打たれ弱そうな人は、やっぱり辞めて行くしね。

 

そうなると、どういう家庭で育ったかも大事なのかな?と思ったり。

 

私自身は、気持ち的には10代のころのままなのに、精神はやっぱり年齢を重ねて行って、物事を見る視点が高く広くなって行ってるようで、それが理想的な姿なのだろうけど、ちょっとの事では、アワアワしたりジタバタしたりしなくなってます。

 

職場の問題点を話し合える相手がいるからだと思うので、もし、そういう、自分と同じレベルの人がいなかったらもっと辛かったかも知れないなぁ。

 

その人との共通認識は、他人は変えられないから、個性豊かな人々がやらかすあんな事こんな事は、もう黙って見ているだけにしよう、という事です。

 

自分が巻き込まれないようにはするけど、それ以上余計に関わるのはエネルギーの無駄だから、と。

 

 

本当にそう思うので、マイペースな感じで仕事してます。

 

だから、自分なりに楽しく仕事が出来ています。

 

人はいつかは死ぬし、死ぬ時は独りきりです。だれもそれに付き合ってはくれません。出来ません。

 

 

同じタイミングで死んだとしても(例えば心中とか大災害や事故で同時にとか)、別の世界です。

 

だから、生きてるうちから、精神的には独りで立つ必要がある。独りで立つ事が出来ないうちは、子供かな。

 

身体は大人でも、その中身は??みたいな人をごくたまに見かけますが…いや、かなり多いかも知れないと、この頃は思いますが、そういう人は無意識に他人や世間や組織や国に頼って生きているので、色々やらかす。やらかす中身は小さな物から大きな物まで多岐に渡って膨大になるので省略します。

 

そういう人に育てられたんだろうな、と思われる若者が最近職場に入って来てるので、余計にそう思うのです。その若者も、ある意味被害者なのかも知れないが、おそらく聞く耳を持たないので私は黙って見ています。普通に接しています。直接仕事で深く関わった方が、仕事の事でアドバイスをしたら、それが納得行かなかった様で、それ以来その方と若者の間が微妙な空気になってます。アドバイスした方は今まで通りに接するつもりなのに若者の方が無視しています。その様な事を第三者として見ていると、だーれも得しないのになぁ、勿体ないなぁ、と、思うのです。だから黙って見ています。動くとこじれるだけなので。

 

 

日常の些細な事ですが、大人になってない人は、子供じみた受け取り方しか出来ないのです。

自分の思い通りに行かないと、拗ねたり、駄々こねたり、逆恨みしたり、するのです。

 

 

生涯子供の精神状態で生きていける世界なら、それも良いですが、この世界では、そうは行きません。ある程度人間として生きたら、精神的に大人に成長して行かなくてはならないのです。そういう設定になっているという事に、春夏秋冬を繰り返して過ごしていけば自然とわかるものなのです。

 

 

なので、大人になったなぁ、と感じる時が何度もあって、少しずつ精神が鍛えられたり、心が豊かになったり、学んだり出来た人は、幸せだと思いますね。私も今の職場で色々と嫌な思いをしたり、アレコレあって、今が有ります。決して一筋縄では行かない事がありましたよ。この職場で無い以前の職場でもそうですが、自分を抑えるとか、我慢を覚える時期もあって、理不尽だけど受け入れるとか、納得出来ないけど別の視点を持ってみるとか、試行錯誤したりジタバタしたりしながら、なんやかやとやって来ました。

 

これからも、以前ほどジタバタする事は無いにしても、アレコレある事でしょう。その度に、『ああ大人になったなぁ』と思う事でしょう。

 

特に、トンチンカンな一番偉い上司との会話の中で、私や私と同じレベルの方が、そう思う事でしょうね。精神が大人になるのが途中から停止して、化石化しているらしいトンチンカンな上司は、自分の発言がコロコロ変わっていたり、辻褄が合ってないという事に気付いて無いらしく、もう人生の軌道修正は不可能と思われますので、黙って見ているしかありません。勿論、その方が私もエネルギー使わなくて済むので楽です(時々イラッとするかも知れませんが、それだけで済むなら良いですよね〜^^)。

 

トンチンカンな上司に関わる事は、それ程多く無いのが救いです。

すぐ下の立場のスーパーマン上司はもっと関わりが深いので大変そうです。あまりにお気の毒なので密かにエールを送っています。密か〜にね^^

 

 

大分大人になって来た私は、個性豊かな困った人々に囲まれていても、自分が楽しんで仕事したり、ちょっとのトラブルには動じない心の余裕も持てるようになりました。

そして気付きに繋がっているので、ある意味有難い事だと思っています。

もし、自立心が無かったなら、ウジウジと恨んだり悔やんだり、相手を赦せない気持ちをずっと引きずったりしていたと思うんです。

自分を幸せにするのも不幸にするのも自分次第。自分しか、自分の人生に責任を持てないのだから、自分を幸せに導いてやろうじゃないか。他人がどう思うかを気にしたり悔やんだり、他人の行動や世間や世の中や運命を恨んだりしてもなーんにも変わらないし変えられないのだから、前進出来る力を自分が持てば良い。そのための理性や知性や理論や理屈など、戦う材料を持てば良い。そう考えて、実際に自分が四苦八苦しながらトライ&エラーを繰り返して繰り返して行って、そうなると、人智を越えた大きな力がやって来るのですよね。

 

それは日常的に不意に現れて来ます。直感とか直観とか、超能力のようなものという形で。

 

サトリにも近いものです。←ですが、人間は誰しもが素質を持ち存在する意味での上下関係はありません。どなたも尊い存在です。やるかやらないか、と、気付くか気付かないか、の違いはあります。

 

精神的に大人になるって、どんどん本当のしあわせに近づいて行く事なんだなぁ。しみじみ。

 

 

おお、今回はなんか真面目っぽいまともな記事になったかな?ま、どっちでもいいか❗️

 

そうそう、身体が大人になると楽しめるお酒も好きです❗️程々にね(^^)

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ブランデー入りのチョコ。バッカスって、知ってます?夏には売ってないのね。

 

 

 

ではでは読んで頂きありがとうございます😊

 

また会いましょう〜^^